ワーママ しろくまっこ の日常

日常の些細なコトが気になる一男一女のアラサーワーママ。

外でしゃべらない息子…場面緘黙?親の私ができることとは

こんにちは、しろくまっこです。

 

人見知り、そしてHSCの息子

家では「ちょっと静かにしてて!」と思うほどにお喋りですが、外に出て人に会うと一変。

 
ニコニコと微笑みはしますが周りの子の様に大きな声で走り回ったり、取り留めのないことを話したり…という事が一切ありません。

 

朝の幼稚園バス乗り場でも、元気よく遊ぶ年長のお姉さんたちを見ながらニコニコ。「おはよう!」と話しかけられても、その子のお母さんに、「幼稚園、慣れた?」と聞かれても、声を発せず少し頷くだけ。

 

「緊張しているだけかな?」と様子をみていましたが、入園して1か月経った今でも状況が変わらないので少し心配になってきました。

 

それは、「場面緘黙(ばめんかんもく)」という不安障害の一種のこと。

 

場面緘黙(ばめんかんもく)とは?

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家庭ではごく普通に話すのに、幼稚園・保育園や学校などの社会的な状況で声を出したり話したりすることができない症状 が続く状態を言います。体が思うように動かせない緘動(かんどう)という状態になることもあります。話せない場面は様々ですが、発話パターンは一定しています。場面とは「場所」「(そこにいる)人」「活動内容」の3つの要素で決まります。

かんもくネット~場面緘黙とはより引用

 

息子の場合、私がそばにいて「こんにちは、って言ってごらん」と具体的に言うと恥ずかしそうに、でもニコニコしながら言葉を発することができます。

 

先日、ダンゴムシを庭で見たときに、「幼稚園に行ったら先生に見た事教えてあげてね」と言ったらバスに乗り込む前に、「ダンゴムシ、見たよ!」と小さな声ではありますが報告していたり。

また、点呼を取るときも元気よく返事はできているようです。

しかし、イレギュラーな発話は私の目が届く範囲では一切ありません。

 

担任の先生から時折電話がありますが(事務連絡であったり、トイレの進捗確認等逐一連絡してくれるので助かっています)、入園から2週間程はポロポロと机に座りながら涙を静かに流していたりしたようですが、最近は「お友達とニコニコしながら追いかけっこをしていましたよ」と嬉しい報告も。

しかし、それが「発話を伴っているか」は不明です。

 

場面緘黙症=発達障害?

臨床場面での場面緘黙児の中には「かなりの割合で発達障害を併発している」「コミュニケーション障害を併存するケースが多い」「中には感覚統合障害が見られる子どもがいる」等の報告があります。(中略)発達障害の診断はつかない、いわゆるグレーゾーンの子どもが含まれます。子どもの苦手領域や特性に合わせた働きかけを行うために、教育や福祉、医療など各機関の連携が必要です。

(中略)

(場面緘黙は)学校教育において特別支援教育の対象です。場面緘黙は医学的区分では「(神経)発達障害」に含まれません。しかし、発達障害者支援法の支援対象に含まれています。また、2016年にスタートした「障害者差別解消法」によって、学校や職場に対して「合理的配慮の提供」の義務が明確に示されました。

かんもくネット~場面緘黙とはより引用

 

上記サイトによると、医学的区分では発達障害には含まれないものの、発達障害者支援法の支援対象に含まれている、とあります。

また、かなりの割合で発達障害を併発している、ともあります。

 

単なる恥ずかしがりやであれば慣れてもらうのを待つだけですが、社会適応障害やコミュニケーション障害を伴うのであれば、早期に園側への相談・対策が必要になってきます。

場面緘黙症をもつ子供は大変おとなしく見え、園の先生たちもあまり手がかからないため、逆に落ち着きがない等の子に比べ、目が届きづらい傾向があります。

 

引用元のかんもくネットには、園への相談時に持参できるリーフレットのデータもありますので相談するときにはぜひ持参しましょう。

 

私も、入園から1か月が経ったので担任の先生から連絡があるタイミングで息子の教室での様子(特に、会話は出来ているか)を教えてもらいながら必要に応じては相談してみようと思います。

 

HSCだった私の幼少期

私も超のつくほどの人見知りだったので今の息子の気持ちが痛いほどよくわかるのです。

幼稚園ではもちろんあまり自分を主張しないいわゆる「大人しい子」。他の子供たちの様に大きな声で遊ぶこともなく、「子どもらしくない子」だったと自覚しています。

でも、友達と遊ぶときは楽しく遊べていたし、「行きたくない」と思うことは記憶の中ではなかった。

幼稚園や小学校には、楽しい思い出として記憶しています。

 

しかし、「町内会の集まり」など、親と、子供が入り交じ合う状況がとてつもなく苦手で、いつも「行きたくないなぁ」と思っていたと、鮮明に当時の気持ちを覚えています。

 

記憶にあるのは幼稚園年中くらいからですが、特に「友達」と呼べるほどでもないただ近所に住むだけの子供たちと、その親。

親同士は何やら楽しそうにしているけど子供たちはなんとなく距離を置きながら、でもほかにすることもないので一緒に遊ぶ。

私はその距離感が苦手だったので(町内には少し年の離れた子供しかいなかったのもありますが)、親の後ろにピッタリとくっつき、「あんたも向こうでみんなと一緒に遊んできなさい」と言われてすごく嫌だった思い出。

何か他のお母さんたちに質問されても、首を縦に振るしかできなかった思い出。

(子どもながらに、私に聞かないで!と思っていた)

 

本当に「しゃべらない子」という印象だった様で、小学校に上がってから学級委員をやったり、運動会で1等賞をとったり、選手宣誓をしたりすると幼稚園が一緒だったお母さんたちにはとても驚かれました。(学芸会だけは本当に苦手でした。いつもばるべくセリフが少ない配役ばかりを狙っていました。)

 

友達もたくさんできて、どちらかというとクラスの中心グループにいましたが、町内会の集まりだけは小学校高学年になっても本当に苦手でそこでは借りてきた猫のように、親の後ろにくっついていました(どんだけw)

 

最近、昔の町内会の時に一緒だった4個上のお姉さんに小学校振りに会う機会があり、話した時には「まっこちゃんが笑ってくれた…!あの時は目も合わせてくれなかったから…」と言われました。

かなり態度悪かったと思います、ごめんなさい、と謝っておきましたw

 

そして時が経ち、今では話すことを仕事としている私がいるのでDNAかな…と思っていたりもしますが…(実際、母はそんな私を特に気にすることもなく良い面をみてくれた。それがとても救われたのです)すこし注意して息子のことは見守ろうと思います。

 

最後に

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やはり幼稚園に入園すると嫌でも周りの子と比べて…と心配になることが増えますよね。

私も、はじめは「泣かずに通えているだけでも万々歳」なーんてどーんと構えていたつもりですが、いざ通えるようになっても心配事は次々と出てくるでてくる…。

 

もし、同じく場面緘黙症かも?と悩んでいる方がいればこんな幼少期の私もいたよ。と、少し安心していただけたら嬉しいです。

「障害」という言葉が頭によぎると、一気に悲観的になってしまうものです。

でも、我が子の成長の過程で気になることがない親なんていません。

 

愛するからこそ、不安のない毎日を、健やかに送ってほしい。

 

そのためにも「今」の子供の気持ちに寄り添って、大きく包み込める母親に私もなりたいです。